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Column

どこからがアート?

インタビュー中に議題としてあがることが多い「どこからがアートか」「アートってなに?」という疑問。その時に話す持論を書いてみようと思う。「アート」というと堅苦しく思いがちだが、実はもっと身近なものなのではないだろうか。

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らくがきもアートだと思えばアート

実に身も蓋もない結論ではあるが、「らくがきもアートだと思えばアート」といつも回答する。
「アート」だの「美術」だの「芸術」だのと、小学生のころから刷り込まれてきてしまっているので、絵には絵の具を使わないと!鉛筆で描くなら写実的でないと!などと思い込んでいる人も案外多いのではないだろうか。

たとえらくがきであっても、絵を描いていればそれがアートになる可能性は十分に秘めていると思うし、逆に言えば、ボールペンで何気なく描いたらくがきをアートではないと否定する材料は特にないと私は思っている。

もっというと、たいして大事ではない内容の電話や、相手が保留中についついメモ帳の隅に描いてしまうらくがき。
ぐるぐるしてみたり、たてたてよこよこしてみたり、へのへのもへじ描いてみたり。
あの「電話中のらくがき」をかき集めて本にしたら面白いアートブックになるのではないかと思ってすらいる。

「アート」「作品」って自分で言うの、恥ずかしい?

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自分が描いたもの作ったものを「作品」と呼んで、「私はアート作品を作りました!」と宣言することが恥ずかしい、という場合もあるのではないかと思う。
それはやはり「アート」「作品」という言葉が、本来あるべき姿よりもはるかに大きなものになりすぎているからだと私は思っている。

絵を描くことはもっと身近なものであるし、ものを作るのもごくごく自然なこと。
そして、そこで「作った品」が作品なのだから、実は思っている以上にイージーでポップなのではないだろうか。

Google先生に「作品」の意味を聞くと「製作物。普通は、芸術活動によって作られた制作物。」と答えてくれる。
芸術活動によって〜、なんていうのは後付けみたいなもので、「製作物」「制作物」だけで十分なのではないかな、と私は思うのだった。

そして、これに関しては、言ったもん勝ち、みたいなところもあると考えている。
例えば、私の運営しているこのサイト。
『Artist+』はWebマガジンとして運営しているのだが、これが果たしてWebマガジンなのか、個人のブログなのか、明確な定義はない部分なので、私が宣言することで決まると思っている。

自分の作ったものをもっとイージーにカテゴライズしてもいいのではないだろうか。

「アート」って、別に堅苦しいもんじゃない

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こんなことを話すと、「らくがきもアートって?そんなこと言ったらアートの価値下がらない?」と思われるかもしれないが、私が考えているのは「価値」とか「教養」とか、堅苦しいこと言うからアートへの入り口がどんどん狭くなっているのではないか、という話なのだ。
「私が今日電話の最中に描いたらくがきも、飾ってみたらなんだかかっこいいわね!」くらいの気持ちからアートを身近に感じてもらえれば、もっとアートが浸透していく気がしている。
アートって言葉が堅苦しいなら「ものづくり」「制作物」「製作物」でもいい。

作りたいから作る。それでいい。

美術史的な知識がなくても、なにかを感じに、楽しみに、気晴らしに。
日本中、気軽にアートに触れ合える社会ができていけばと思っている。
なにげなくスマホで撮った写真を「きれいだな」と自分で感じるのも、道端で見つけた石の模様を「おもしろいな」と感じるのも、すべてがアートの入り口だと思えば、アートは思っていた以上に身近なものになる。

ギャラリーにも気軽に足を運んでほしい。
普通に散歩しているだけじゃ出会えない世界が広がっているから。
ギャラリーに足を踏み入れたからといって、いきなり作品の購入を促されることはないし、美術史についての会話を投げかけられることもまずない。
ふらっと立ち寄ってアートに触れ合っていい場所なのだ。

そこで作品を観て、なにかを感じたらそれは「いい出会い」であるし、なにも感じなくてもそれはそれでいい。
「いい出会い」を求めて、また違うギャラリーの扉を開ければいいのだから。

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